この前、とある用件で司法書士さんに会いました。
とっても優しい人だったのですが、とっても残念だなぁと思いました。
ステイタスで言えば、「司法書士」は私の中ではとても高順位に位置します。
その資格だけで会う事が楽しみになる程、
私の中ではポイントが高いのです。
でも。
私は頭が良い人が好きです。
でもきっと、その「頭が良い」は学歴でも知識でもないのです。
そういう観点で言えば、
その人は「司法書士」と言うインテリジェンスな資格は持っていても、
私の中で言う「頭が良い」というカテゴリーには分類されなかったのです。
なんでだろう・・・?
つまる所、
人間として一番大事な能力であるコミュニケーション力が不足していたんだと思いました。
とどのつまり、話がいくらかスローで、とても退屈してしまったのです。
こちらの理解を待ってくれようとする姿勢だったのかもしれませんが、
この分野に関して、私は何もそこまで待って貰えなくても理解出来ます。
でもその人にはそれが見えていない。
つまり、「私」を見ていないということなんです。
「女性にはこういう態度」
と決めた、世の中にいる莫大な「女性」の数を対象に「私」と話しているんです。
なんともつまらない時間です。
世の中、こういうケースがやたらと多いなって思うことがあります。
特に年齢を経れば経る程、
「自分のやり方」を確立し、
「相手のやり方」を探ることをしない。
一方通行になってしまっているんですね。
中にはそういうことも必要なことはあるでしょう。
私も昔程八方美人にヘラヘラしなくなりました。
それが無益か有益か、考えて相手を切ることもあります。
若い頃程時間に無頓着じゃなくなった時から、
そういう決断が必要なこともあることを私は学びました。
けれど。
キャッチボールを必要な場面で。
「投げるのが下手なので、取ってくれないならしーらない」
って思っている人が多い。
「自分はこの投げ方しかしない! 」
と断定して、取れない人を排除する人が多い。
本来人とのコミュニケーションというものは、
そういう意味ではないハズなんだけどなぁ。
私も今一度、反省しようと思いました。