みなさんこんにちは、Roroです♪
本日、子供の友人が遊びに来てくれました。
小6女児達のわいわいきゃぁきゃぁはかしましいですけど、気難しいお年頃でもあるのである意味でホッとします。
親子だけで1日家に引きこもっていると、険悪ムードになることも多々ありますからね。
友人が来てくれる事が救い・笑。
その友人が一言、何かの拍子に
「いいなぁ、私の欲しいもの、全部持ってるよ」
と子供に向かって呟いてくれました。
我が子はそんな友人ちゃんに謙遜を込めて、
「でも、うちにはSwitchないよ」
とバッサリ切ってくれていましたが・笑。
(友人ちゃん宅にはあるんです。子供はそれを羨ましがっている・苦笑)
でもね。
客観的に考えてみても友人ちゃんに羨ましがられる要素なんてこれっぽっちもないと思うんです。
友人ちゃんは新築一個建て駐車場付のお宅に住み、母は専業主婦、父は高給取りと言う完璧なご一家。
ディズニーランドが家族共通の趣味らしく、開校記念日や日曜参観の振替にはお父さんも有給を取って一緒に行き、自分のお小遣いで買っているとは言っていますが、毎回おしゃれなカバンや小物、メモ帳なんかを見る度違うもので揃えてきます。
そんなRoroからしても子供からしても欲しいものの固まりな友人が、築年数ある中古マンションに住み、シングルマザーで万年留守番を仰せつかり、お出掛けといえばどっかの無料イベントやら少し遠方の友人宅位で、基本洋服はお古。
しかも最近はRoroのお下がりまで着させられている子供を、「羨ましい」となΣヽ(゚Д゚○)ノ
冷静に少し考えたらわかるようなものが、何故か逆転しています・笑。
子供は本来羨ましがられる対象でもなんでもないのですが、それでも人に「いいなぁ」と言われるのは嬉しいみたいで、なんだかまんざらでもなさそうな顔をしていました。
実は子供は、比較的こういう発言をされる事が多いんです。
さて、これはどういう事なんでしょうか。
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人を幸せにするバロメーターは何だ?
子供にあって友人ちゃんにないもの。
それはたった1つ「満足感」なんだと思うんですよね。
例えば、友人ちゃんにとって綺麗でピカピカの家は彼女の「求めたもの」ではないのです。
ご両親が心血注いで建てたものである事には変わりないし、我が家と比べたら恐らくダブルスコアでも届かないのではないかなと思う位開きがあるでしょう。
でも、彼女本人が「これがいい」と選んだものではない。
だから極端な話、そこまで思い入れはないのだと思います。
「そこにあることが当たり前」のものだから。
対してRoro子供はこの家を一緒に選びました。
そりゃぁRoroは薄給のシングルマザーですから、ローンの関係やその他諸々、色々な制限はあったけど、
「マンションならオートロックは外せないよね」
と言った子供に最大限添えるような物件を探したし、
「ここはいいと思う? 」
「この家は気に入った? 」
と一軒一軒一緒に見て選んだものでした。
そうやって「自分が選んだ」と言う満足感を伴って引っ越してきた子供は、例え築何十年だろうと、新築一戸建てに負けない位の嬉しさを持たせてくれたのだと思います。
そういう満足感は第三者からの評価で得るものではないから、古くてもぼろくても子供が「これがいい」と言うものが最上のものとなるのです。
マイホームなんかはRoroの方が特殊なのかもしれないですが、例えば小さな買い物1つでも、我が家はそうやって子供に選ばせると言う事を繰り返してきました。
同じ小物でも、Roroはプライベートブランドの方が安くていいなと感じても、子供が「これがいい」とキャラモノを指せばキャラモノを買ってやりました。
1つ300円で買えるプライベートブランドの小物より、1つ500円のキャラモノの方が、
「欲しいものを買って貰えた」
と言う高い満足感を植えつけるのです。
その満足感は単純な200円の差以上のプライスレスを生む。
仮に別の日にスーパーで他愛もないお菓子をねだられたとしても、
「この前キャラモノの方を買っちゃったからお金がなくなっちゃって今日はそれが買えないんだ。ごめんね」
と言えば済みました。
いつぞやの「満足感」を覚えている限り、相手も素直に納得してくれるのです。
それに人間誰しもそうですが、気に入ったものは大事に使います。
仮に壊してしまえば次は問答無用でプライベートブランドになっても文句は言えないですし、そうなりたくないから一生懸命大切に扱います。
そうやって大切に使い続ければ長持ちもするし、
「もう飽きたから別のものがいい」
なんて言い出す事も少ないです。
例えば子供はもう3年以上同じペンケースを使っており、中は鉛筆の汚れで真っ黒、端々も擦り切れてしまっているのですが、何度言っても買い換えようとしません。
「これが気に入っているの。使えるうちはこれを使っていたい」
んだそうです。
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出来ない事を数えない、出来る事を数えよう
そんな度重なる「自分で選択」の結果、子供は今の現状に満足してくれているようです。
周囲が思春期に差し掛かった事により、子供の満足感は「余裕」と捕らえられているようで「いいね」「いいなぁ」と言われる事が多くなりました。
子供自身もそうじゃないこともあるんだけどな、と感じる部分もあるそうですが、でも、
「不幸に見えて同情されるより、幸せそうに見えて羨ましがられる方が良くない? 」
と言ったら素直に頷いていました・笑。
Roroは子供によく言うのですが、基本的に我が家は不自由です。
片親だし、貧乏だし、足りないものだらけです。
でも、イマサラそんな話をしたって始まらないのです。
シングルマザーは逆立ちしたってシングルマザー。
もしも子供に、
「シングルマザーがイヤだ」
と言われたら、それこそ本当にどうしようもない。
でもきっと、出来ない事に視線を向けていちいち足りない事を数えるより、出来る事を考えて前向きに生きた方が人生は遥かに楽しいんじゃないか。
子供はその意見には賛同してくれています。
片親だから、Roroが子供に添いたいと思う時間と思う瞬間に自由に添えるんだと思います。
父の都合も機嫌も、同居の儀父母なんかも気にする必要がない。
そして貧乏だから、益々寄り添っていくことが出来る。
めいめいがてんでばらばらに動いていたら、不経済極まりないですものね。
そういう意味で、それこそ祝祭日と言う家族が家に在宅であろう日に、子供の友人を自由に家に出入りさせてあげられる。
そんな家を持つ子供に友人ちゃんは、
「いいなぁ」
と言った。
それが出来る事を突き詰めていけば、うちが片親だからと言う事なんだけれど、そんな穿った受け取り方は止めて、素直に
「ありがとう」
と受け取る。
そういう毎日の積み重ねが、子供の「満足感」の根底であるのだろうとRoroは思うのでした。
最後まで読んで頂きありがとうございました♪
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