こんにちは!
シングルマザーブロガーのRoroです(*^^*)
24時間テレビが始まりましたね。
過去にはミーハー心全開で会場に足を運んだ事もありましたが、
参照→(24時間テレビの募金活動を思う)
今年はお家でひっそりと楽しませて頂きます。
Roroは24時間テレビのドラマが好きなのですが、今年のドラマ、凄く考えさせられました。
「貧困」とか「経済格差」とか、最近はやたらめったら目につくことが多くなりましたよね。
Roroはこれ、とても他人事だとは思えません。
だって現在のRoro家は一応食うに困らず寝に困らずが出来ていますが、いつだって紙切れ一枚程度の厚みでもって裏表がひっくり返ると思っているんですもの。
例えばRoroが不治の病におかされたら・・・?
明日リストラされてしまったら・・・?
貯金なんて雀の涙程しかない我が家に待っているのは、すぐに「生活困窮」と言う4文字です。
今日はそれについてちょっとお話したいなと思います。
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貧困は罪だと思う、だからこそ声を出す必要があると思う
貧困は「罪」と言う、Roroの持論
暴力的な言い方をすれば、「罪」だと思います。
でも誤解しないで下さいね。
「罪」って言葉の意味を知っていますか?
・法に触れる
と言う意味も勿論ありますが、
・悪いと思うこと
と言う意味でも使われることがあります。
「罪悪感」とかその一例ですね。
だから、「貧困」と言う言葉を使う時、それを誰か(例えば子供)に対して後ろめたいと言う感情があるのだとしたら、それは「罪」と言って良いのではないかとRoroは思っています。
つまりね。
「貧困」って明確な定義はないじゃないですか。
「身の丈に合う生活」って言葉で言うなら、その当事者達がそれでも「満ち足りている」と思うならそれは「貧困」ではなく「充足」なんですよ。
何ら悪いことはしていない。
でも、それを「不足」と取るなら、やっぱりそれはその当事者達からして見れば「罪」なんだと思います。
大概の人は「罪」と言うものからは逃れたいし、何とかしたいし、解消したい。
ただ、「貧困」ってそれをどうにかしようとしてもなかなか現状からは抜けられない状態。
親がそう言う状態なら、もっともっと小さくて非力な子供は到底その「罪」からは逃れられないですよね。
こういう負の連鎖なのかな、というような事を思いました。
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「罪」から逃れる為に「声」を出そう
逃れられない「罪」なのだとしたら、一生その「罪」を背負って生きていくしかないのか?
いえ、そんな事が言いたいんじゃありません。
当然です。
Roroが言った「罪」はあくまで「辛い貧困」と言う状況そのものを指しているのであって、その家の主を指すものでも、その家の子供を指すものでもないからです。
今のこの日本、手を伸ばせばいくらでも温かい心はあると思います。
Roroは「奨学金」はその走りの最たるものだと思っていたりするんですよ。
昨今は飽和社会も助長して「将来の借金だ」なんて言われたりしていますが、その将来の借金が今の自分を助けるのだとしたら、それは迷わず手を伸ばして良いとRoroは思います。
それにこども食堂、フードバンク・・・色々な支援体制があります。
うちの市区町村では学習塾の無料サポートみたいな事をしてくれたりもしているし、就職に必要な資格取得の斡旋を行ってくれたりもします。
探せば結構ありますよ。
勿論、帯に短し襷に長しな部分もあるでしょうし、
「そんなんじゃ全然足りないよ! 」
と言った苛立ちもないわけではないでしょう。
して貰っておいてあれですが、かゆい所に手が届かないサポートだって実際ありますものね。
ただ、自ら手を伸ばす努力は必要ではないかなと思ったりします。
「貧困」と言う言葉に苦しさを感じるなら、それをそのまま声に出して良いんだと思うんですよ。
日本人の文化として「沈黙は金」みたいな風潮が結構あります。
「欲しがりません、勝つまでは」と耐え忍ぶ事が尊い文化もどこかにまだ残っているように感じます。
でも、貧困は沈黙していたらそこに埋め立てられて終わりになります。
「母親失格だ」なんて言われたら声は出せないし、
「満足に育てられないのに生むんじゃない」と言われたら引きこもるしかなくなってしまうけど、
それでも子供とか自分とか色んなものの為に「大変なんだ」って声が出せたら、どこかでその声を拾ってくれる人はいると思います。
そんな社会であって欲しいと思うし、実際そういう社会になりつつあると、Roroは思っています。
24時間テレビのドラマ、
「生徒が人生をやり直せる学校」
を観て、そんな事をRoroは思ったのでした。
力強いシングルママさんが沢山居ますよ^^ ↓